お疲れ様でした。

 ■漫画家の鳥山明氏があの世に旅立たれた。享年68歳。

 鳥山明氏の漫画を初めて読んだのは、「Dr.スランプ」が連載される前に少年ジャンプに掲載された「ワンダーアイランド」という単発もの。はっきりした内容は覚えていないが、主人公が確か映画「ダーティハリー」の、クリント・イーストウッド演ずる「ハリー・キャラハン」をそのまま模したような風貌で名前も「ハリー・センボン」だったように記憶している。そして、その画風及び作風に今までに読んだことのない何かワクワクするような期待を覚えたものだったが、その予感は的中し前述の「Dr.スランプ」が連載され始めると、あっという間に周りに浸透。

 面白かった。その頃は毎週のように自分や友人が少年ジャンプを買っていて必ずと言っていいくらい読んでいたもので、それまでに漫画を読んで腹を抱えて笑うっていうシーンをいくつかのドラマで観たことがあったが、自分は実際にそんな経験をしたことがなくて、「あんなのはドラマ上の過剰な演出で実際はあり得ない」と思っていたのだけれど、「Dr.スランプ」という漫画はそんな私の考えを見事に粉砕し、「漫画を読んで腹を抱えて笑う」っていうことを何度も実体験させてくれた漫画だった。今やその後の「ドラゴンボール」の方が人気があるようだけれど、私にとっては「Dr.スランプ」の方が(年齢的に)思い入れが深い。

 私よりも数年年上の方であったが、まだまだ活躍されると思っていたのに、こんなに早く、そしてこんなに急に鬼籍に入られるとは本当に非常に残念。

 68歳か。自分にとってはもう本当に「身近」と言える出来事。


「ばいちゃ!」


 そして、そう遠くない未来に私もそっちに行くと思うので、もしお会いできたらその時は「んちゃ!」と言わせて頂きます。お疲れ様でした。


■声優のTARAKOさん、逝去。享年63歳。


 鳥山明氏の訃報にショックを受けたのに更に追い打ちをかけるようにこの訃報を聞かされた。

 声優のTARAKOさん。言わずと知れた「ちびまる子ちゃん」の主人公まる子の声の主。


 「ちびまる子ちゃん」を初めてテレビで観た時は、ある意味衝撃的だった。特に観ようと思って観たわけでなく、たまたまテレビのチャンネルを「8」にしていたら番組が始まり、最初は「また『サザエさん』みたいなアニメが始まった」という程度にしか思わなかったが、何となく観ていたら、低学年小学生のあのまさに「オヤジ」のような言動にハマった。私にとってはある意味「異次元」というか「ファンタジー」と言ってもよい世界で、最初からハマった。当時もう二十代中盤に入っていて、まだアニメ人気が完全に市民権を得ておらず、いい大人がこんな子供向けのアニメにハマるだなんて恥ずかしいと言われかねない時代であったが、そんなことなど気にならないくらい面白かった。きっとあの漫画の世界観がそうさせたのだと思うが、それを確実なものにしたのは間違いなくTARAKOさんのあの声と口調であっただろう。たぶん他の声優さんがやっていたら、ここまで国民的アニメにはなっていなかったんじゃなかろうか。

 そう言えばあの頃よくつるんでいた当時の同僚が私の部屋にやってきて、一緒に夕飯を食いにいくことになって、出かけようとしたら丁度「ちびまる子ちゃん」が始まり、「すまん、これ観てからでいい?」と同僚に行ったところ同僚は怪訝な表情になった。きっと「こいつには(いい歳こいて)こんな趣味があったのか」と思ったのだろう。私が「これおもろいでぇ!」と言っても、その表情は変わらなかった。

 しかし番組が進むにつれ同僚の表情は明らかに変わっていった。まるちゃんの「あたしゃねぇ」に代表される小学生離れした物言いや周りの濃いキャラクター達の言動に同僚の顔は綻び続け、とどめはエンディングの「踊るポンポコリン」である。

 この「踊るポンポコリン」という歌。初めて聴いた時は「何じゃ『ポンポコリン』って??」に始まり、歌詞全般を把握して更に「何ちゅう歌詞やねん?」と思ったのだが、すぐに「ああ、これこそ『さくらももこワールド』だ」と理解。

 同僚はその時はこのアニメに関してはまったく知らなかったようであったが、観終わった後「何このアニメ。めっちゃおもろいやんけ!」と言った。この男、同期ではあったが私より年上。私も含めてそんなオッサン予備軍が見事にこのアニメにはまり、その後すぐに社会現象としても取り上げられるくらいの人気アニメとなったのは皆さん既知のこと。だから「まるちゃん」と言えばTARAKOさんのあの声以外は考えられないというのが個人的な思いであり、更には私や前述の同僚とほぼ同い歳であることもあって今回の突然の訃報は本当に残念で残念で仕方がない。


■鳥山明さん、享年68歳。

 TRAKOさん、享年63歳。

 改めてご冥福をお祈り申し上げます。


■自分が還暦を超えて以来、やたら同世代の有名人たちの逝去を見聞きすることが多くなった。

「人生100年時代」なんてことを言う輩が今なお世に蔓延っている。そういう点では社会に多大なる功績をもたらした人たちはなぜか早世。だがその身は滅びてもその名は歴史に刻まれて永遠のものになる。

 対して私のような社会の単なる一歯車になっているかどうかもわからないレベルの人間は、その時と場合によってあちこちの不本意な場所に社会の単なる「一体力」として配置されて小銭を右から左に流すだけのダラダラとした余生を生き永らえさせられた挙句、やがてその身も名も永遠に歴史から忘れ去られるのであろう。

 だがそんな余生を送ることが運命づけられているくらいなら、さっさと彼らがいる世界に向かわせて欲しいと思うのだが、それは誤った考えであろうか? 現生に既に夢も希望もない私にはその方がよほど面白そうじゃないかと思えて仕方がないのだけれど。


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